JP-LIFE
久しぶりの日本で気づいたこと
Sonntag, 14. April 2019
日本について説明する、してもらう
2年ほど前、FaceBookのINFORMAZIONE LIBERAというイタリア語のグループで、日本の金継ぎが紹介された記事に、イタリア人が面白いコメントを書き込みをしてた。日本はジパングで金が有り余っていたんだとか、壊れたお椀が綺麗な飾り物になったとか、日本人の体には金が溜まっているんじゃないか、のような楽しいコメントの数々。そこで金継ぎについて拙いイタリア語で書き込んでみた。
https://www.facebook.com/informazionelibera0/photos/a.86463527381/10153649140242382/?type=3&theater
「日本の金継ぎというのは茶具などの継続使用が目的だから、見た目を元に戻すのではなくて、安全に使えることが大切だから化学変化しない金を使うのだとか、一期一会の茶会で自分の気に入った茶具で相手をもてなしたいという考えがある」、そんな感じのこと。このコメントにびっくりするくらい多くのイイネがついた。イタリア語は間違いだらけだったと思うが、殆どの人は内容を正しく理解してくれて、みんなが感謝してくれ、その後もしばらくコメントのやり取りが続いた。
つい最近のことだが、何かしら縁があって(憶えていないだけ)Quoraというサイトに書き込みをするようになった。色んな言語で質問する人と答える人がいて、自由に書き込みが出来る。 恐らくFaceBookのイタリア語サイトでの楽しい経験があったせいか、ドイツ語、イタリア語、フランス語サイトで、日本に関する質問で答えがなかなかつかないものに書き込むようになった。
ある日、日本に住んでいるイタリア人から自分が書いたイタリア語に訂正提案が届いた。 日本で通訳として働いており、英語は達者。イタリア語でも日本のことに関する質問には自分でコメントしている。それが縁で、彼のコメントで少し違和感があるものについては日本人の立場からコメントを付けたり、彼の日本語にも訂正提案を送るようになった。
実際にヨーロッパを経験していることで、もしかしたらコメントにもその辺りの配慮が見えたのかも知れない。日本に帰ってきてるのなら会って話をしてみたいと言われた。彼は逗子に住んでいるが、鎌倉にとても詳しく、特に神社や仏閣については鎌倉のガイド本も書いている。自費出版ということでデジタル版しか残っていないが、この内容が実に素晴らしい。是非たくさんの人に読んでもらいたい。
彼にホームの鎌倉を案内してもらいながら、お寺や神社、禅に関する話をするが、さすがに本を書いているだけあって知識の量が半端ない。間違いなく一般の日本人よりも断然詳しい。最初の鎌倉訪問で鶴岡八幡宮を案内してもらい、2度目は鎌倉のお寺についてのプレゼンをしてもらう。鎌倉は本当に素敵なところだ。
そんな彼だが、Quoraで日本語で書き込みをしていて、間違っている日本語を非難されたことがあって、日本語で書き込みをするのを止めてしまったという。自分が経験した、間違いだらけのイタリア語で感謝されたこととは正反対。表面的なことにこだわり過ぎて実を採れない、採ろうともしない、日本人にそういう傾向があるのは少し残念だ。
Sonntag, 7. April 2019
久しぶりに帰ってきた日本で彷徨う
去年2018年1月1日に、長年住んでいたオーストリアを離れる決心をブログにしたためた。あれから一年と3ヶ月が過ぎようとしているが、今現在、2019年4月の時点で住んでいるのは東京。そして未だに職には就いていない。
輝かしい出世街道を歩いている人であれば、ヨーロッパから日本に帰るともなれば、あらゆるところから引き合いがひっきりなしに来るのだろうが、残念ながら自分にはそういうことはない。少しばかり向こう見ずでバカができたから、コネもないのにヨーロッパに行ったし、50歳寸前になってまたなんの伝手もなく日本に帰ってこられたのだという自覚がある。コネがないから人に知られることもないが、だからといって人から賞賛されるような輝かしい業績があるわけでもない。
2018年の2月末までということで元会社に退職届を出し、最終勤務日の3日前に、自分が長年に渡って所属したチームと関連するチームの同僚、合わせて15名ほどだが、社外に売りに出されるという話が社内で出た。会社が今やるべきことに全力で取り組めるように、リソースを選択集中するという理由のようだった。
そのしばらく前から、社内のソフトウェアの開発部門は外に売り出すという噂はあった。それは自分が所属していたチームだけではない。ソフトウェアの開発やそのユーザーをサポートをしていた部門は社内にいくつかはあり、恐らく700人ほどの会社の中でトータルで40人くらいはいたはずだ。ただ、まさかという思いが強かった。
自分の年齢とこれからやるべきことを考えてオーストリアを離れる決心をしたのだが、開発に携わっていたソフトウェアの日本ユーザーが、チームの会社からの離脱が原因で、会社の日本拠点からサポートを受けられなくなく可能性がゼロではないことを重く受け止めざるを得なかった。しばらくコンタクトを取りながら様子を見ようと思った。16年前に自分を受け入れてくれた会社には大いに感謝していたし恩義もある。問題が起こったときにはできるだけの手伝いをしたいと思った。
最終的にどうなるのか、それを待ちながら歯科医に通ったり、近辺をぶらぶらしながら待つことにした。3ヶ月ほどで、結局このままの体制でしばらく行くという話になり、それから日本への帰国準備に本格的に取り掛かり、住む場所を決めるために、いくつか面接も絡めて来日。仕事は決まらなかったが、とりあえず住むところはなんとか運もあって決められた。
東京で賃貸契約を結ぶのに、この年で無職。一週間の東京滞在中に全ての手続きを済ませることができない。住所が確定しないと引越し荷物もどこに送れば良いのか決められない。「保険会社さんに(査定を)お願いしようと思います」というところが多い中、ほんの30分ほどの雑談で、良いですよと言ってくださったマンションの管理人さんがいらっしゃった。地獄に仏とは正にこのことだった。
輝かしい出世街道を歩いている人であれば、ヨーロッパから日本に帰るともなれば、あらゆるところから引き合いがひっきりなしに来るのだろうが、残念ながら自分にはそういうことはない。少しばかり向こう見ずでバカができたから、コネもないのにヨーロッパに行ったし、50歳寸前になってまたなんの伝手もなく日本に帰ってこられたのだという自覚がある。コネがないから人に知られることもないが、だからといって人から賞賛されるような輝かしい業績があるわけでもない。
2018年の2月末までということで元会社に退職届を出し、最終勤務日の3日前に、自分が長年に渡って所属したチームと関連するチームの同僚、合わせて15名ほどだが、社外に売りに出されるという話が社内で出た。会社が今やるべきことに全力で取り組めるように、リソースを選択集中するという理由のようだった。
そのしばらく前から、社内のソフトウェアの開発部門は外に売り出すという噂はあった。それは自分が所属していたチームだけではない。ソフトウェアの開発やそのユーザーをサポートをしていた部門は社内にいくつかはあり、恐らく700人ほどの会社の中でトータルで40人くらいはいたはずだ。ただ、まさかという思いが強かった。
自分の年齢とこれからやるべきことを考えてオーストリアを離れる決心をしたのだが、開発に携わっていたソフトウェアの日本ユーザーが、チームの会社からの離脱が原因で、会社の日本拠点からサポートを受けられなくなく可能性がゼロではないことを重く受け止めざるを得なかった。しばらくコンタクトを取りながら様子を見ようと思った。16年前に自分を受け入れてくれた会社には大いに感謝していたし恩義もある。問題が起こったときにはできるだけの手伝いをしたいと思った。
最終的にどうなるのか、それを待ちながら歯科医に通ったり、近辺をぶらぶらしながら待つことにした。3ヶ月ほどで、結局このままの体制でしばらく行くという話になり、それから日本への帰国準備に本格的に取り掛かり、住む場所を決めるために、いくつか面接も絡めて来日。仕事は決まらなかったが、とりあえず住むところはなんとか運もあって決められた。
東京で賃貸契約を結ぶのに、この年で無職。一週間の東京滞在中に全ての手続きを済ませることができない。住所が確定しないと引越し荷物もどこに送れば良いのか決められない。「保険会社さんに(査定を)お願いしようと思います」というところが多い中、ほんの30分ほどの雑談で、良いですよと言ってくださったマンションの管理人さんがいらっしゃった。地獄に仏とは正にこのことだった。
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