去年2018年1月1日に、長年住んでいたオーストリアを離れる決心をブログにしたためた。あれから一年と3ヶ月が過ぎようとしているが、今現在、2019年4月の時点で住んでいるのは東京。そして未だに職には就いていない。
輝かしい出世街道を歩いている人であれば、ヨーロッパから日本に帰るともなれば、あらゆるところから引き合いがひっきりなしに来るのだろうが、残念ながら自分にはそういうことはない。少しばかり向こう見ずでバカができたから、コネもないのにヨーロッパに行ったし、50歳寸前になってまたなんの伝手もなく日本に帰ってこられたのだという自覚がある。コネがないから人に知られることもないが、だからといって人から賞賛されるような輝かしい業績があるわけでもない。
2018年の2月末までということで元会社に退職届を出し、最終勤務日の3日前に、自分が長年に渡って所属したチームと関連するチームの同僚、合わせて15名ほどだが、社外に売りに出されるという話が社内で出た。会社が今やるべきことに全力で取り組めるように、リソースを選択集中するという理由のようだった。
そのしばらく前から、社内のソフトウェアの開発部門は外に売り出すという噂はあった。それは自分が所属していたチームだけではない。ソフトウェアの開発やそのユーザーをサポートをしていた部門は社内にいくつかはあり、恐らく700人ほどの会社の中でトータルで40人くらいはいたはずだ。ただ、まさかという思いが強かった。
自分の年齢とこれからやるべきことを考えてオーストリアを離れる決心をしたのだが、開発に携わっていたソフトウェアの日本ユーザーが、チームの会社からの離脱が原因で、会社の日本拠点からサポートを受けられなくなく可能性がゼロではないことを重く受け止めざるを得なかった。しばらくコンタクトを取りながら様子を見ようと思った。16年前に自分を受け入れてくれた会社には大いに感謝していたし恩義もある。問題が起こったときにはできるだけの手伝いをしたいと思った。
最終的にどうなるのか、それを待ちながら歯科医に通ったり、近辺をぶらぶらしながら待つことにした。3ヶ月ほどで、結局このままの体制でしばらく行くという話になり、それから日本への帰国準備に本格的に取り掛かり、住む場所を決めるために、いくつか面接も絡めて来日。仕事は決まらなかったが、とりあえず住むところはなんとか運もあって決められた。
東京で賃貸契約を結ぶのに、この年で無職。一週間の東京滞在中に全ての手続きを済ませることができない。住所が確定しないと引越し荷物もどこに送れば良いのか決められない。「保険会社さんに(査定を)お願いしようと思います」というところが多い中、ほんの30分ほどの雑談で、良いですよと言ってくださったマンションの管理人さんがいらっしゃった。地獄に仏とは正にこのことだった。
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